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東大医学部卒業生の挑戦:南相馬・石巻など地方都市での研修


上 昌広 | 「現場」からの医療改革を目指す内科医 2013年4月22日 17時21分



新学期が始まった。東京大学も大勢の新入生を迎え、キャンパスには活気がみなぎっている。同時に、我々の研究室で研鑽を積んだ東大医学部の学生たちが、研修医として巣立っていった。今回は、彼らの横顔を紹介したい。

まずは篠田将君だ。南相馬市立総合病院で研修する。東京学芸大附属高校卒。記憶力が抜群で優秀だが、捉えどころがないキャラだ。人なつっこいため、研究室では「しのぴー」と呼ばれ、人気者だ。東日本大震災以降、研究室のスタッフに同行し、何度も福島に足を運んだ。「南相馬市立総合病院の雰囲気が自分に合う」と感じ、被災地に飛び込んだ。

福島県立相馬高校で生徒と交流する篠田将君 次は勝俣敬寛君。石巻赤十字病院で研修する。神奈川県の桐蔭学園卒。在学中はアメフト部の主力として活躍した。学生時代、あまり勉強はしていなかったが、兎に角、元気な学生だった。試練を求めて、石巻を研修先に選んだ。

三人目は前田裕斗君。川崎市立総合病院で研修する。開成高校卒。大学時代はバドミントン部で活躍した。震災後、私と一緒に相馬市を訪問した。バランス感覚がよく、大人の判断が出来る人物である。将来は地域医療に従事したいという。医師不足がもっとも深刻な東京近郊をあえて研修先に選択した。

相馬市にて。右から筆者、島津義秀氏、前田君。学生時代から地域医療に関心があった 最後は伊藤祐樹君。焼津市立総合病院で研修する。灘高を首席で卒業したらしい。仕事を与えると、そつなくこなす。明確な人生設計を口にすることはないが、色々と考えるところがあり、静岡県での研修を選んだ。

彼ら四人に共通するのは、何れも地方の一般病院を研修先に選んだことだ。「都心のブランド病院には惹かれない」と言う。住み慣れた東京ではなく、未知の環境に飛び込むことで、成長が期待できると考えたのだろう。東日本大震災後、福島県で活動している坪倉正治医師(平成18年東大卒)の存在も刺激になっているようだ。

メディアや業界団体が「研修医は田舎を嫌がり、都会に住みたがる」というのは、必ずしも正しくない。成功モデルは既に変わりつつある。

私も「東京の医学生は地方を経験したほうがいい」と指導している。東京とは異なる文化圏を経験することで、自らを相対的に評価できるようになるからだ。また、我が国の医師不足・医療崩壊は解決の目途がたたない。バランスのとれた医師になるには、地方での勤務体験は欠かせない。

ただ、地方であれば、どこでも良いというわけではない。彼らには「場所や施設以上に大切なのは、誰と一緒にやるかだ。特にリーダーの理念は重要」と助言する。逆に、自らの努力不足を棚に上げ、若手医師を強制的に地方に送りこもうとする教授や院長がいる病院は避けるように勧めている。

余談だが、地方大学の医学生から相談を受ける際には「一生に一度は東京で働いた方がいい」と助言する。東京は日本の中心だ。様々な背景をもった医師が集い、情報が交わる。東京を経験することで成長する。故郷の医療を支援するのは、それからでも遅くない。

話を東大生に戻そう。研修を充実させるためには、これだけでは不十分だ。指導医と研修医の相性を考慮しなければならない。ただ、この手の情報はインターネットや研修説明会では十分に伝わらない。公式の場では、誰も本音を話さないからだ。

私たちの仕事は「医学生のサポーター」として、指導医との交流を深めることだ。この点に関しては、福島での医療支援活動が役に立っている。全国から大勢の医師が集まり、相馬市内の合宿所に宿泊する。夜は飲み会だ。そこで、支援に駆け付けた指導医と医学生が本音で議論し、親しくなる。一旦、人間関係が構築されれば、電子メールやフェースブックが発達した昨今、遠く離れていても情報交換には困らない。

いまや、一部の医学生は地方・都会という二項対立構造で研修病院を選んでいない。彼らが求めるのは、「どうすれば実力がつくか」だ。彼らの多様なニーズに如何にして応えるか、我々自身が試行錯誤を続けねばならない。

本稿は、「医療タイムス」(医療タイムス社)で連載中の『医療改革道場』の原稿をベースに書き直したものです。



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